ブルーノ・タウトが再構築した“日本の美”を訪ねて【重要文化財】旧日向家熱海別邸

MATSUMOTO | 20.Jun.2025 | 日本

ブルーノ・タウトという名前に聞き覚えがある方は、建築やデザインに関心の深い方かもしれません。ドイツ表現主義を代表する建築家であり、世界遺産に登録されたベルリン近代集合住宅を手がけた世界的巨匠です。そんなタウトが、戦火を避けて日本に亡命し、静かに一つの空間に思想を込めて残した建築が、熱海に存在します。本記事では、旧日向家熱海別邸を訪ねた体験をもとに、タウトが見た日本の美意識や、その思想が現代社会に投げかける問いについて考えてみたいと思います。

※本記事に掲載している写真は、旧日向家熱海別邸の関係者様の許可を得て撮影・掲載しております。

6月の熱海は、しっとりと雨に濡れていました。

午前中は雨脚も強く、観光には向かない天気だと思っていましたが、不思議とこの日だけは、雨が似合うように感じられました。

私が訪れたのは、熱海の山手に静かに佇む「旧日向家熱海別邸」です。そこには、ブルーノ・タウトという一人のドイツ人建築家が、日本で唯一手がけた現存建築があります。

玄関をくぐったその瞬間、不意に雨が上がりました。

まるで建物に迎え入れられたかのような静けさとともに、苔むした庭に光が差し、湿り気を帯びた木の香りがふわりと立ち上りました。

邸宅の前に立った私は、ここがただの観光スポットではなく、何か特別な思想と美意識が静かに息づいている場所なのだと、ほのかに感じられました。

旧日向家熱海別邸とは

旧日向家熱海別邸は、昭和初期に貿易商・日向利兵衛氏の別荘として建てられた建築です。木造2階建ての母屋と、地下に設けられた応接室・茶室などを有するこの邸宅は、和と洋の意匠が融合した独特の空間構成が特徴です。

現在は「旧日向家熱海別邸」として一般公開されており(予約制)、熱海市指定有形文化財にも登録されています。国の重要文化財に指定されたうえ、予約制で一般公開されています。熱海駅から車で10分ほど、自然豊かな山手の一角に位置しており、公共交通機関を利用する場合は、JR熱海駅から徒歩約8分で到着します。

道中はやや上り坂が続きますが、周囲の景色と相まって、散策としても楽しめるルートです。落ち着いた環境の中で、静かに建築と対話するような時間を過ごすことができます。

和と洋が溶けあう不思議な空間を歩く

旧日向家熱海別邸に一歩足を踏み入れた瞬間、私はなんとも言えない心地よい違和感を覚えました。

外から見た建物は、どこか懐かしい、ごく普通の日本家屋に見えました。瓦屋根に木造の外壁、控えめで上品な佇まい。しかし内部に足を踏み入れると、その印象は大きく裏切られます。そこには、和の伝統と洋のモダニズムが絶妙なバランスで混在する、不思議な空間が広がっていました。

畳敷きの空間に、幾何学的な文様をあしらった天井、意匠にこだわった手すりや照明。障子の向こうからは柔らかな自然光が差し込みます。

和洋、どちらかに寄りすぎることのない、けれど確かな意図をもった調和が感じられました。

この建物は、1階部分を「銀座和光」などで知られる日本の建築家・渡辺仁が設計し、地下部分をブルーノ・タウトが手がけています。

和風建築の形式美を踏襲しながらも、細部に西洋のエッセンスを織り交ぜた1階空間は、当時のモダンな趣向を感じさせます。対して、地下部分は、日本に滞在していたタウトが、自らの美意識を投影した空間。ヨーロッパ的モダニズムと日本文化への敬意が溶け合うその設計には、彼の思想が静かに息づいています。

上下階で異なる建築家の手によるこの構成こそが、旧日向家熱海別邸を唯一無二の存在にしているとも言えます。

1階にある日向氏の夫人の部屋。純和風の意匠が随所に見られ、静けさと端正さが漂う空間。

同じく1階にある日向氏の部屋。洋風の窓辺や造作には、彼のグローバルな志向と感性がにじみ出ている。

この特異な邸宅の主である日向利兵衛氏は、アジア貿易などで財を成し、ホテル事業や鉄道敷設にも関わるなど、実業家として活動していました。当時の先端的な文化や建築に強い関心を持っていた人物です。

日向氏は銀座のギャラリーで、ひとつの電子行灯に目を留めました。デザインしたのはブルーノ・タウト。その縁からふたりは知り合い、やがて親交を深めていったといいます。ちなみに、その行灯は、今も旧日向家熱海別邸の室内に残され、静かに灯っています。

タウトの美意識を理解し、むしろ共鳴したからこそ、このような先鋭的な空間が実現したのでしょう。日向氏の「本物志向」が、タウトという才能を受け入れる土壌となったのだと感じました。

和でも洋でもない、しかし両方がたしかにそこにある──そんな不思議な感覚に包まれながら、私たちは邸内をゆっくりと歩き続けました。

日向氏が好んだという淡いグリーンのタイルが並ぶ浴室。柔らかな色合いが、空間に独特の落ち着きを与えている。

青緑色の瓦屋根は、建物全体のアクセントカラーとして随所に使われており、日向氏の美意識がうかがえる。

世界的建築家ブルーノ・タウトと、日本の美との出会い

では、そのタウトが日本という異国の文化にどのように触れ、どのようにして日本の美と出会っていったのか。彼の足跡をたどることで、旧日向家熱海別邸に流れる空気の源泉が少しずつ見えてきます。

ブルーノ・タウト(1880–1938)は、ドイツ表現主義の建築家として知られており、代表作の「ガラス・パヴィリオン」や、ベルリン郊外の世界遺産「ホフエンジーデルング」など、20世紀建築において重要な足跡を残しています。

そんな世界的な建築家が、なぜ日本にやって来て、しかも熱海の一邸に携わることになったのか。それは今思えば、非常に特別で奇跡的な出来事だったと感じます。

1933年、ドイツを離れ、亡命先として日本を選んだタウトは、日本各地を巡りながら桂離宮や伊勢神宮などに深い感動を覚えました。そしてそれを著作『ニッポン』や『桂離宮』に著し、日本人すら見落としていた日本文化の美質を、世界に向けて紹介しました。

「桂離宮は世界最高の建築作品の一つ」——タウトはそう語っています。

きらびやかな装飾ではなく、素材の持ち味を活かした簡素な設計。空間の構成美、余白の妙、光と影の移ろい。それらは、当時の西洋にはなかった“精神的な美”として、タウトの心を強く打ちました。

タウトの美学が息づく奇妙で魅惑的な空間

いよいよ、ブルーノ・タウトが実際に設計を手がけた地下部分へと足を踏み入れます。階段を降りた瞬間、そこにはまた異なる時間が流れているかのような、独特の空気が漂っていました。

どこか奇妙で、何とも言えない違和感のある空間。でも、不思議と落ち着く。整いすぎていない、不揃いの中に美を見出すタウトの思想が、この空間には静かに息づいていました。

地下は大きく4つの部屋に分かれており、それらの部屋はゆるやかに連なった構成になっています。

ひとつの空間から次の空間へと自然に誘われるような設計が特徴的です。

最初の部屋に入ってまず目を引くのは、天井から吊るされたユニークな電灯。上下でサイズや位置をあえてずらして配置された、不揃いな照明です。

不揃いに吊るされた照明が印象的な地下室の一室。照明の支持具には竹が用いられ、高度な技術が随所に光る。

この“ズレ”には、規則性からの解放や、空間にリズムを与えるというタウトの意図が込められているといいます。また、その照明を吊るす部材には竹が用いられていました。

柔らかい素材である竹を、天井から吊るす構造材として使用するには高度な技術が必要で、職人の力量を感じさせる細部でもあります。

照明を吊るすための部材には使用されており、柔らかな素材を構造材として用いる高度な技術が光る。

光をやわらかく遮りつつ、外の景色とのつながりを保っている。

開け放たれた襖の先に、洋風客間、さらに続く和室が見える構成。視線と動線が自然に奥へと導かれる、連続性のある空間設計。

次に訪れた洋風客間では、壁一面を覆う深い紫色が印象的でした。空間全体に漂う静けさの中で、その色だけが凛とした存在感を放っています。

壁一面を覆う深い紫が印象的な空間。静けさの中に強い存在感を放ち、空間に独特の緊張感をもたらしている。

窓越しに広がる海の景色が、まるで一幅の絵画のように切り取られている。窓枠が風景を引き立てる巧みな構成。

さらに視線を窓の外に移すと、そこには絵画のように切り取られた海の景色が広がっていました。まるでこの一枚の風景のために設計されたのではないかと思えるほど、窓枠がフレームのように海を引き立てているのです。

地下という閉ざされた空間にいながら、まるで自然と対話しているような感覚。それは、機能よりも思想を優先したこの空間ならではの体験でした。ブルーノ・タウトが日本で残した数少ない“現存する建築”のなかでも、この地下空間は彼の美意識を最も端的に感じられる場所かもしれません。

旧日向家熱海別邸に宿るタウトの思想

旧日向家熱海別邸を歩いていると、そこに漂う空気が、普段私たちが過ごしている空間とはどこか違って感じられました。

豪華さや派手さではなく、むしろ控えめで静かな佇まい。でもその中に、確かな存在感がある。

タウトの設計には、そうした「見えにくいけれど、大切なもの」をすくい上げようとする姿勢が感じられます。

今の社会では、効率やスピード、コストパフォーマンスといった言葉がものごとの基準になりがちです。タウトが見ていたのは、そうした指標では捉えられない価値でした。

素材の質感、空間の呼吸、光や影の移ろい──手ざわりのある美しさと言っていいかもしれません。

私たちが見過ごしがちなものに、タウトは目を向けていたように思います。

印象的なのは、タウトがそうした美しさを日本の中に見出したということです。

たとえば「間」や「余白」、「簡素」といった日本独自の感性。日本人にとってはあまりに当たり前で、説明のしようもないような感覚を、タウトは外からの視点で丁寧にすくい上げました。

彼の言葉や設計を通して、私たちはかえって自国の文化にあらためて目を向けることになります。

建物と自然との関係もまた、タウトの設計の特徴のひとつです。旧日向家の地下室でも、庭や海とのつながりを意識した空間づくりがなされています。

窓の外に広がるのは、穏やかな海の景色でした。その風景はまるで一枚の絵画のように切り取られていて、室内にいながら自然の一部にいるような感覚がありました。こうした自然との共存の姿勢は、現代の環境意識やサステナビリティの考え方とも重なります。

さらに、照明ひとつとっても、タウトが職人の手仕事に強い信頼と敬意を持っていたことが伝わってきます。簡単にはできない技術を要するその構造からは、「つくること」に向き合う真摯な姿勢が感じられます。

タウトの建築は、単に空間をつくることにとどまらず、生き方や仕事に対する価値観までも静かに問いかけてきます。旧日向家熱海別邸を訪れることで、そんな彼のまなざしに、少しだけ触れられたような気がしました。

まとめ

旧日向家熱海別邸は、ただの観光名所ではありません。ここは、ブルーノ・タウトというひとりの建築家が、日本で過ごした時間のなかで見つけた「美しく、善く生きるとは何か」という問いが、そっと息づいている場所です。

雨上がりの庭に広がる苔のしっとりとした静けさ。手でふれたくなるような木の柱のぬくもり。

過剰にならない装飾の奥ににじむ、つくり手の考え。そうしたすべてが、この空間の中で、言葉のいらないやりとりをしているように思えます。

時代は変わっても、私たちの心のどこかには、こうした“静かな問い”に耳を傾ける余地が残っているのではないでしょうか。

美しさって、何だろう。善く生きるって、どういうことだろう。

タウトの建築は、その問いを無理に押しつけることなく、ただそっと、手のひらに乗せて渡してくれるような存在なのです。

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