[奈良・吉野]吉野の桜と日本人の美意識

MATSUMOTO | 20.May.2023 | 日本

この春に訪れた、奈良県にある吉野の桜はまさにそんな日本人の美意識のルーツを象徴している存在だと感じました。

吉野の里に日本人の美意識のルーツを探る

日本と海外(タイ)を行ったり来たりしている生活をしていると、日本人の価値観の特異性に気付かされることがしばしばあります。とりわけ日本人の持つ美意識というものは異彩を放っており、日本人が海外で日本人らしさを表現できる大切な特性の一つだと感じます。

 

この春に訪れた、奈良県にある吉野という地は、まさにそんな日本人の美意識のルーツを象徴している存在と感じました。

 

奈良県・吉野は大阪の東、紀伊山地に位置し、吉野山の玄関口にあたります。

 

吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は、3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野参詣道)は2004年に世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 

大阪阿倍野橋駅から近鉄特急で吉野駅へと向かいました。

 

大阪の市街地から数分で一気に山の世界へと入っていきます。春先の鮮やかな新緑と真っ青な空のコントラストに引き込まれていきます。1時間半ほどして吉野駅に到着。駅を降り吉野の地に足を踏み入れると、まるで時間が止まったかのような不思議な空気に包まれました。

私たちが訪れた時期は桜の開花のピークから2週間ほど遅れていました。

 

吉野の山を登っている最中、満開の桜を見られなかったことに対する残念な気持ちと同時に、「見られなかったことで感じた喜び」もあり、複雑な感情になりました。

日本人の持つ無常感とは?

吉野といえば数々の歴史の舞台になった地として知られていますが、とくに私が注目したのは西行法師です。

 

西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武士出身の歌人で、吉野山での修行や文学活動を行っていたといわれています。彼の詩には吉野山の美しい景色や無常さを感じさせる言葉が多く登場し、吉野山は彼の詩の舞台としても知られています。

 

吉野山は、山麓から山上にかけて下千本、中千本、上千本、奥千本というエリアに分かれていますが、その中でも最も奥に位置し、桜の開花が最も遅いのが奥千本です。

 

その奥千本に、西行法師が俗界から離れるために住んでいたと言われる「西行庵」があります。

急な斜面のわずかな平地に構えた三畳ほどの広さの粗末な寓居で、自然に身を晒し、経文を唱えるように歌を詠んだといいます。

眼前に広がる桜を見ながら、自然の移り変わりと同じように心を解放し、浮世の苦悩を超越する道を模索したのかもしれません。

 

無常さとは、物事が永遠に続くことなく、変化していくことを指しています。

 

日本の文化や美意識において、この無常さは重要な要素となっています。海外に住んでいると、この無常さにより一層感動するのです。

 

例えば、桜の花が咲く瞬間を目にすると、その美しさと儚さに心が震える思いがします。桜の花は一瞬で散ってしまうため、その美しさをじっくりと味わうことはできません。しかし、その短い間に、一期一会の美しい瞬間を楽しむことができます。この無常さが、日本人の感性や美意識に深く根付いているのです。

さらに、日本の季節の移り変わりも無常さを象徴しています。春には桜の花が咲き、夏には緑豊かな風景が広がり、秋には紅葉が美しい景色を彩ります。そして冬には雪が舞い降ります。一年を通じて、自然界の移り変わりが続いていくのです。この季節の無常さを感じることで、日本人は自然と共鳴し、美しい瞬間を大切にする心を育んできたのです。

物事が永遠に続くことなく、変化していく姿に触れることで、自分自身も成長し、心の豊かさを深めることができるのです。日本の文化や美意識は、この無常さを受け入れ、一瞬一瞬を大切にすることで豊かさを見出すことを教えてくれます。

 

だからこそ、私たちは海外でも、この無常さを感じながら、日本の美しい瞬間や感性を大切にし、心豊かな人生を築いていくべきなのだと思うのです。

 

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